神戸食肉青年会資料より抜粋

 「但馬牛」は純血種を維持し、品種改良を重ねた優良な血統から生み出されています。また食肉牛としての今に連なる歴史は明治以降ですが、貴族の愛用した牛車など荷役使用のための牛として、その飼育の歴史は、いにしえの昔にまで溯る事が出来ます。たとえば、1200年程前の「続日本記」に「但馬牛、耕うん、輓用、食用に適す」という記述を読み取る事が出来ます。


年  表
3世紀中頃 朝鮮半島新羅(しらぎ)からの渡来者が牛を連れてくる。
481 <日本書記>後の顕宗、仁顕天皇となる2王子が播磨国志染で「牛馬を飼牧」との記述。
685 4月、丹波の国氷上郡12角の牛が生まれる。
700 文武天皇は諸国に蘇(乳製品)を貢すよう命令、但馬からも上納。以後、各地から蘇を朝廷へ貢進する。
736 仏教が隆盛になり、殺生禁止が家畜の屠殺禁止となる。
741 姫路市御国野町に(御着駅西400メートル)牛堂山国分寺建てられる。神功皇后が三韓征伐に向かう途中、霊牛が現われたことから牛堂を設け牛像を安置。
797 <続日本記>但馬牛は農耕用のみならず御所車、荷車に最適との記述。肩が薄く前勝ちで、長脚で後身が貧弱だったのは、役牛タイプを全般に好ましいものとして千年以上にわたって選択を重ねてきた証拠といえる。
907 <延喜式>養父郡養父市養父神社では五十猛命を牛取引の神様とする。
1583 豊臣秀吉は大阪築城で但馬牛の功績をたたえ、牛は庶民の宝となすと宣言し、「登り牛」として種々の特権を与えた。
  • 但馬牛は性格が温厚で耐久性に富み、体型・資質とも優れ高く評価された。
  • 当時の牛は役畜で、秀吉はキリシタン宣教師に、何故に耕作に必要な牛を殺して食用にするのかと質問している。
    だが、九州の人たちやキリシタン大名はキリシタン信徒が増えるにつれ、洋式の肉食をしていた。高山右近、細川忠興らも食べていた。
1781~
 1848
特別献上品「将軍家御用」として、彦根牛の味噌漬、干し肉、酒煎肉、粕漬肉が薬用の名の下にしばしば贈られる。
1867 幕府は、但馬牛の振興をはかるための最初の行政指導「但馬国牧牛令」を発令。
明治2年 神戸に西洋料理店「外国亭」、すき焼屋「関門月下亭」ができる。
明治4年 神戸に初の日本人経営の屠場設立許可。
牛肉小売店「大井肉店」開業。
明治5年 明治天皇の食膳に牛肉がのって以来、一般にも牛肉が普及。
明治6年 ウイーン市の大博覧会に極めて優秀な但馬牛を出展し、但馬牛の名が世界中へ初めて知られる。
神戸食肉塾資料より抜粋
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